今日テレビで俳優さんが恩人である監督さんの思い出話をしていた
「歩く」という場面でオッケーが出ず何度も何度も撮り直しを繰り返した
なぜ今の演技じゃだめなのか監督は一切言うことはなく
ただひたすら何度もやり直した
結局オッケーが出た歩き方はすり足だったそうで
そこにたどり着くまでそうとう撮り直しをしたらしい
たとえ歩き方ひとつであっても
演じるものが役になり切っていないとお話しそのものが
台無しになってしまうのかもしれない
ひとこと「そこはすり足で歩いて」といえば
簡単に済むことだけど
そこを役者さん自身が気づくまで付き合うのは忍耐がいることだ
言われてやるのと自分で気づいてやるのとは
実はまったく中身が違う
ヨガのレッスンのとき
できるだけ生徒さんの学びを奪うことのないよう
見守るということがはたしてできているだろうか
この手をここへこうやって・・・
なんていうことは簡単
それをいかに生徒さん自身が気づいていくかを
見守り続けること
たった一言いえばすぐすむことを
長い時間かけて気づいていく
その楽しみを私の教えたろかーというエゴで
失うことのないように
見守ること
子育てとおんなじ
過保護にならんよう気をつけなきゃ
最大限の気づきを得るための最小限のお手伝い
絶対大丈夫という信頼と深い愛情で「待つ」