犯罪被害者の家族が
出所者が更生するための支援をしているというニュースを観た
生まれながらにして悪い人なんていないんじゃないか
生い立ちや何かで犯罪を犯してしまっただけなんじゃないか
被害者の家族が
本来なら憎むべき相手をそういうふうにみれるってすごいと思う
もちろんそこにたどり着くまではいろんな思いがあったことやろう
先日のガジャナナンジのWSで語ったジョティさんの「愛」についてのお話し
家に泥棒が入ってたくさん物が盗まれたという
その時こう思ったんだって
「危険を冒してまで人の家に入って物を盗むなんてよっぽど困っているのだろう」
「どうかその人がまた同じ過ちを繰り返すことなく幸せになりますように」
と祈ったそうだ
ものの見方ひとつで
こんなにもものごとの捉え方が変わってくる
被害にあったことを嘆き悲しみ相手を憎むこともできるし
その憎むべき相手を思いやることもできる
犯罪のために愛しい家族をなくすことになった時
はたしてその相手を思いやることができるだろうか
そこに至るまでの道のりはいばらの道なんやと思う
悲しみや憎しみで押しつぶされることやろう
はじめっから赦すことなんてとうてい無理だ
けれども憎しみや悲しみをどん底まで味わった時に
もしかしたら新たな感情が芽生えるのかもしれない
この世は優しさでできてるんやなと
思える今日このごろ
銚子のお土産
お土産に頂いたコーヒー
ヒトも
モノも
優しさでできてんねんなぁ