2015年2月1日日曜日

花と蝶。

「花無心招蝶 蝶無心尋花」

花無心にして蝶を招き  蝶無心にして花を尋ねる

今読んでいる本に書かれてあった禅語

花はただ一生懸命に咲くことだけに努め

蝶は蜜を求め生きることだけを精一杯にやっている  「般若心経心訳」枡野俊明より


この禅語は自然の営みの中の見事な代わりあいの姿を現している

花も蝶もそれぞれに自分の本分をまっとうしている

そうであって見事な関わり合いが生まれる

人とかかわるとき損得勘定でものごとをチョイスしてしまってはいないか

どんなときもどのような状況でもまっすぐに真摯に生きる

それが見事な調和を生み出すのだと

仕事もやりがいがある、ないというふうにより分けることなく自分がやるべき仕事がそこに在るだけ

どんな仕事だって全力でやる




やりたいことがない

つまらない仕事をやっている

どうしたらいきいきとやりがいをみつけて生きていけるの?

よくそんなこと聞かれるんだけど

この禅語にその答えがあるような気がする

どんなことも与えられた場所で与えられたことを一生懸命やる

そうするとどんな仕事だって真理へと導いてくれるのかもしれない

今自分がやりたいと思わない仕事をやっていたとしても

その仕事を誠心誠意やることができれば

ほんとうにやりたかった仕事にいつかたどり着くのかもしれない

お茶を飲むときはお茶を愛でる

今この瞬間を全力で味わう

過去も未来もない

在るのは今だけ