2021年1月28日木曜日

ざわわ、ざわわ。

ヨガクラスの時、日によって救急車が大きなサイレンを鳴らして通る時がある。

コロナ対策もあって

教室の窓は開けてクラスをしているので

リードする声がかき消されることもある。

大きなサイレンを聴いていてふとインドでのことを思い出した。

リシケシで受けたヨガクラスだ。

教室の前を通るリキシャの大きなクラクションの音。

近くの寺院のスピーカーからは

大音量すぎて音が割れてしまっているお祈りの声が。

それはそれは賑やかで。

最初は気になるんだけど

そのうち

その外側の音を外側と認識するんだろうか

賑やかさは少しづつ遠ざかって

自分の内側の静けさに安らいでいくような。

どんなに外側が賑やかでも

静かに流れる呼吸。

穏やかな感情。

その静けさに休んでいるわたし。

静かで美しい自然の中で行うヨガも瞑想も

もちろんいろんなことを気づかせてくれるけれど

やかましい街中でもまた

深い静けさに気づかせてくれることもある。

まるで日常とおんなじで

身の回りに起こっている出来事が心を揺さぶられれば揺さぶられるほど

それに巻き込まれることのない“何か“に気づくことができるように。

なんかやかましいなあ〜

と思うことがあったらそれをよーく味わってみると

思いがけず何かを見つけることができるかもです。


















2021年1月25日月曜日

なにをやってもあかんとき。

数年前から(ぜんぜん進んでないやん・・・)書いている“関西弁でヨーガスートラ“のお勉強のために参考にしてるいくつかの本。

先日その中の一冊「図説 ヨーガ・スートラ」という伊藤武先生の本の文章にグッときた。

パタンジャリのヨーガ・スートラでは

・・・賢者にとっては一切が苦

と説かれている。

ヨーガは、少なくともパタンジャリのそれは、輪廻に対する嫌悪を前提としている。存在から逃れたいという想いの烈しい者ほど、実践も厳しいものになる。彼らにとって、ヨーガの成就は非常に近い。

だが、ここで云っておきたいことがある。ブッダ、すなわちゴータマシッダールタのことだ。(伊藤武 図説ヨーガスートラより)

なになに?ブッダがどしたの?と読み進める。

人生は苦悩に満ちていると感じてシャカ族の王子ブッダは、妻子を棄てて出家し苦行を経てやがて「目覚めた者(ブッダ)」となる。その後の人生を、民衆に教えを説くことに費やし、やがて80を過ぎ死を予感したブッダは生まれ故郷を目指したが、その旅の途上で息耐えた。

旅の間ブッダは何度もこう口にしたそうだ。

「樹々は美しい。この世は美しい。人の命は甘美である」

「愛欲にまみれた人のいのちは、しかし甘美である」

ヨーギンが、いったん夢想三昧に達し、プルシャをわきまえた「目覚めたもの(ブッダ)」になるならば、一切皆苦は、かならずや一切甘美に転じる。

なーぬぅううううううううううう

一切皆苦は、かならずや一切甘美に転じるてかあああああああああ

なんてステキなん!

陰極まって陽に転ずる、みたいな???

この世は苦ばっかりやんって嘆いてたブッダが

その同じ世界を美しいと、愛欲すら甘美やんて

目覚める(ブッダ)ってそういうことなのか。。。

今目に前で起きていることも

苦なのか、甘美なのか

見えかた次第なのかもしれないな。


落ち込んでても、イェイイェイやあ〜♪と歌えるかどうかや〜









2021年1月21日木曜日

ほんまに遅ればせながらです。


あらあらあらら

新年明けましてもう20日以上も過ぎてましたー

今年もどーぞどーぞよろしくお願い致します。

今年はどんな年になるのかなあ

海外旅行もままならない状況が続くと

さらに“インド行きたい病“が重症化している今日この頃です。


あーもうきゅんきゅんするわ〜

メキシコでこんなことしたなあなんて写真みたりして。


新年のごあいさつ

タイミングおっそおそでごめんなさい。

行きたいところへ行っててよかったなあ

また自由に旅ができる日が来るまで

できるだけ機嫌よう過ごして

免疫力を上げとこう



今日はいいお天気だったので

大山寺珈琲焙煎室に連れてってもらいました。

日差しがポカポカとあったかくて

外で飲むコーヒーは最高!


そして晩ごはんのお供は

赤かぶのぬか漬け

たまらなく美味しい〜

うん、今年もやっぱりしあわせだあ