毎回ハッとさせられるシュリニーバス先生の授業。
ヨーガの修行で大切なこと。
“シンプルなものをシンプルにしておく“
これが忍耐である。
ほいなーーーー
ほいなほいなー
ほんっとその通りだあ。
世界はいたってシンプルなのに
こじらせているのはいったいどうしてなのだ???
単純なことを複雑にしているものはなんだ?
いろんな癖に気づいてどんどんかあるくなって
シンプルなものをシンプルなままにしておこう。
そう、世界はいたってシンプルなんだから。
毎回ハッとさせられるシュリニーバス先生の授業。
ヨーガの修行で大切なこと。
“シンプルなものをシンプルにしておく“
これが忍耐である。
ほいなーーーー
ほいなほいなー
ほんっとその通りだあ。
世界はいたってシンプルなのに
こじらせているのはいったいどうしてなのだ???
単純なことを複雑にしているものはなんだ?
いろんな癖に気づいてどんどんかあるくなって
シンプルなものをシンプルなままにしておこう。
そう、世界はいたってシンプルなんだから。
さてさて
以前書いたヨーガスートラの”・・・賢者にとっては一切が苦”について
も少し深掘りを。
賢者とは?
私とは何か?が見えている人
↓
世界をあるがままに観れる人
↓
それはこの世界すべてが苦であると知っている人
それってどゆこと?
この世界すべてが永遠でないと知っている人
となる。
この、すべてが永遠でないということを少し頭に置いて人生をおくれたなら
目の前の世界がすんっと広がるんだなあ
で、いずれまわりまわって
ブッダのように”この世界は美しい”と転じるのだろうなあ
だからどんな時も頭のすみっこに
この”すべてが永遠でない”ということを住まわせておこう
楽しい時も、辛い時も、この身体も、家族も、
永遠でない。
昨年秋から受けているヨーガ・スートラのオンラインクラス。
これがとっても楽しいのだ。
スートラに出てくる「クリヤヨガ」
これは極めて実践的なヨーガで「二元的なものに左右されないように努力すること」
だって人はこの世界を好きか嫌いか、心地いいか心地悪いか、たったそれだけで生きているから。
せやのにそれに左右されないように生きるってなんと大変なことなんだーーー
毎瞬、毎瞬無数の選択肢の中から好きか嫌いか、居心地がいいかそうでないかで選びとった世界が目の前に広がっている。
その選択をよーーーく観ることによって
いろんな自分がみえてくる。
まずはその選びとった選択はほんとうに居心地がよいのかなあ
とながめてみよう
たぶんそのずっとずうーーーっと先に
二元性に左右されない世界が広がるのだろう
このさい、そこへと向かう道も楽しんじゃおう
そんな努力ならおもしろいやん〜
数年前から(ぜんぜん進んでないやん・・・)書いている“関西弁でヨーガスートラ“のお勉強のために参考にしてるいくつかの本。
先日その中の一冊「図説 ヨーガ・スートラ」という伊藤武先生の本の文章にグッときた。
パタンジャリのヨーガ・スートラでは
・・・賢者にとっては一切が苦
と説かれている。
ヨーガは、少なくともパタンジャリのそれは、輪廻に対する嫌悪を前提としている。存在から逃れたいという想いの烈しい者ほど、実践も厳しいものになる。彼らにとって、ヨーガの成就は非常に近い。
だが、ここで云っておきたいことがある。ブッダ、すなわちゴータマシッダールタのことだ。(伊藤武 図説ヨーガスートラより)
なになに?ブッダがどしたの?と読み進める。
人生は苦悩に満ちていると感じてシャカ族の王子ブッダは、妻子を棄てて出家し苦行を経てやがて「目覚めた者(ブッダ)」となる。その後の人生を、民衆に教えを説くことに費やし、やがて80を過ぎ死を予感したブッダは生まれ故郷を目指したが、その旅の途上で息耐えた。
旅の間ブッダは何度もこう口にしたそうだ。
「樹々は美しい。この世は美しい。人の命は甘美である」
「愛欲にまみれた人のいのちは、しかし甘美である」
ヨーギンが、いったん夢想三昧に達し、プルシャをわきまえた「目覚めたもの(ブッダ)」になるならば、一切皆苦は、かならずや一切甘美に転じる。
なーぬぅううううううううううう
一切皆苦は、かならずや一切甘美に転じるてかあああああああああ
なんてステキなん!
陰極まって陽に転ずる、みたいな???
この世は苦ばっかりやんって嘆いてたブッダが
その同じ世界を美しいと、愛欲すら甘美やんて
目覚める(ブッダ)ってそういうことなのか。。。
今目に前で起きていることも
苦なのか、甘美なのか
見えかた次第なのかもしれないな。