2021年1月25日月曜日

なにをやってもあかんとき。

数年前から(ぜんぜん進んでないやん・・・)書いている“関西弁でヨーガスートラ“のお勉強のために参考にしてるいくつかの本。

先日その中の一冊「図説 ヨーガ・スートラ」という伊藤武先生の本の文章にグッときた。

パタンジャリのヨーガ・スートラでは

・・・賢者にとっては一切が苦

と説かれている。

ヨーガは、少なくともパタンジャリのそれは、輪廻に対する嫌悪を前提としている。存在から逃れたいという想いの烈しい者ほど、実践も厳しいものになる。彼らにとって、ヨーガの成就は非常に近い。

だが、ここで云っておきたいことがある。ブッダ、すなわちゴータマシッダールタのことだ。(伊藤武 図説ヨーガスートラより)

なになに?ブッダがどしたの?と読み進める。

人生は苦悩に満ちていると感じてシャカ族の王子ブッダは、妻子を棄てて出家し苦行を経てやがて「目覚めた者(ブッダ)」となる。その後の人生を、民衆に教えを説くことに費やし、やがて80を過ぎ死を予感したブッダは生まれ故郷を目指したが、その旅の途上で息耐えた。

旅の間ブッダは何度もこう口にしたそうだ。

「樹々は美しい。この世は美しい。人の命は甘美である」

「愛欲にまみれた人のいのちは、しかし甘美である」

ヨーギンが、いったん夢想三昧に達し、プルシャをわきまえた「目覚めたもの(ブッダ)」になるならば、一切皆苦は、かならずや一切甘美に転じる。

なーぬぅううううううううううう

一切皆苦は、かならずや一切甘美に転じるてかあああああああああ

なんてステキなん!

陰極まって陽に転ずる、みたいな???

この世は苦ばっかりやんって嘆いてたブッダが

その同じ世界を美しいと、愛欲すら甘美やんて

目覚める(ブッダ)ってそういうことなのか。。。

今目に前で起きていることも

苦なのか、甘美なのか

見えかた次第なのかもしれないな。


落ち込んでても、イェイイェイやあ〜♪と歌えるかどうかや〜