コロナ対策もあって
教室の窓は開けてクラスをしているので
リードする声がかき消されることもある。
大きなサイレンを聴いていてふとインドでのことを思い出した。
リシケシで受けたヨガクラスだ。
教室の前を通るリキシャの大きなクラクションの音。
近くの寺院のスピーカーからは
大音量すぎて音が割れてしまっているお祈りの声が。
それはそれは賑やかで。
最初は気になるんだけど
そのうち
その外側の音を外側と認識するんだろうか
賑やかさは少しづつ遠ざかって
自分の内側の静けさに安らいでいくような。
どんなに外側が賑やかでも
静かに流れる呼吸。
穏やかな感情。
その静けさに休んでいるわたし。
静かで美しい自然の中で行うヨガも瞑想も
もちろんいろんなことを気づかせてくれるけれど
やかましい街中でもまた
深い静けさに気づかせてくれることもある。
まるで日常とおんなじで
身の回りに起こっている出来事が心を揺さぶられれば揺さぶられるほど
それに巻き込まれることのない“何か“に気づくことができるように。
なんかやかましいなあ〜
と思うことがあったらそれをよーく味わってみると
思いがけず何かを見つけることができるかもです。