2013年6月25日火曜日

ギーターとサンスクリット。

 
 
勉強会がはじまりました
 
先月からは
 
大好きな聖典
 
バガヴァット・ギーターの勉強会
 
そして先週はじまった
 
サンスクリット語講座
 
どちらもあまりに興味深く私自身楽しみで仕方ない
 
バガヴァット・ギーターのクラスは
 
今まで習ってきたことの根底を覆すような教えで
 
そりゃあもうド肝ぬかれます
 
『モークシャを目指すと破滅します』
 
えぇーーーーーーーっ
 
ほな破滅やー
 
しかしなぜ同じ聖典の解釈がこうも違うのか
 
おもろすぎてたまらん
 
しかも先生の番茶さんはとってもピュアでええ人やと思うし
 
こりゃあなんかあるな
 
あたしゃ破滅の教えを学んできたが
 
先生のお話の先にはきっと真理があるんやないか
 
そう思えて仕方がないのです
 
まだ先週で二回目ですが
 
昨年習ってきたことがバンバン出てきて
 
家帰って去年泣く泣く書いた宿題を引っ張り出して読み返す
 
うんうん
 
おもろいーーーーー
 
ウパニシャッドの解釈
 
いったいどう展開していくのか
 
果たして教えの違いが同じ真理に到達するのか
 
わっくわく
 
そしてこのあいだのお話の中で心に残った言葉
 
人生で大変なことに遭った時こそチャンスなんだと
 
自分とは何か
 
人生とは何か
 
なんの苦労もなけりゃそんなこと考えないからねって
 
ほんまそう思います
 
人生の航海がいつも穏やかならええけど
 
嵐に遭ったり
 
津波が来たり
 
そんなときに
 
人っていろんなこと考える
 
なんで航海に出てるんか
 
なんで津波がくるんか
 
その大きなうねりをうまく乗りこなせたとき
 
ひとつ級が上がるんとちゃうかな
 
乗りこなせなかったら
 
またおんなじ練習をする
 
そしてまた進級テストがやってくる
 
この繰り返し
 
何の級かって?
 
人生(今)を楽しむ級ちゃう~?
 
大波こよーが津波がこよーが
 
ビッグチャンスやんって思えてくる
 
過去でも未来でもなくこの瞬間を生きる方法を学ぶチャンス
 
そのチャンスをつかむヒントが
 
すべては自分の選んできたことやと自覚すること
 
つらいときはつい思ってしまう
 
なんで自分だけ
 
なんであの人はこうしてくれへんねんやろ
 
ついつい他人のせいにしてしまいがち
 
でも
 
結局一瞬一瞬を選びとっているのは自分
 
今の自分は自分が選んできた結果そのもの
 
他人のせいにしているうちは人生エンジョイできない
 
過去を引きずったり未来を不安がったり
 
『今』が希薄になる
 
聖典はヨーガはそれを私に教えてくれた
 
ヨーガは今を生きるということを知るための道具
 
聖典を学ぶことは
 
真理に気づくこと
 
でもね
 
こんなこと言ったら怒られちゃうやろうけど
 
ヨーガや聖典を知らなくても
 
いろんなこと経験して学んだ素晴らしいひとたちがたっくさんいる
 
それもまたヨーガ
 
 
おいしいひなたパンをつまみつつお勉強
 
 
そして
 
サンスクリット語も
 
ゆかりちゃんがとってもわかりやすく楽しく教えてくれるので
 
楽しくてたまりません
 
去年習ったやんって?!
 
そのことはシークレットでやんす
 
一から学びなおしです
 
番茶さんもゆかりちゃんも遠いところほんとうにありがとうございますです
 
ふたりとも
 
尊敬すべき
 
カルマヨーギー
 
いつかはああなりたいもんです
 
さてさて
 
ブリンダーバンへとわたくし目指していっちゃうんでしょうか
 
自分がどう気づいていくか
 
楽しみでなりませぬ